よくある助言に、「周りの人から馬鹿にされたら、見返してやるという気持ちで頑張ればいい」というものがあります。
せっかく楽しいことに挑戦しようとしているのに、馬鹿してきた人を見返すために頑張るでは悲しくないですか?
そういう意見は放っておけというのが、正しい助言かと思います。
敵中心の怖さ
敵中心とは、自分が嫌いな相手が、自分の思考、行動に大きく影響を与えている状態のことです。
例えば、会社で仕事を頼まれたとしましょう。
その仕事を請け負うかどうか決める時は、何を判断基準にしますか?
自分がこの仕事に挑戦したいから(自分軸)
会社に貢献したいから(コミュニティ軸)
仲がいい友達と仕事がしたいから(友達軸)
と、いろいろな判断基準が考えられますが
嫌いな同僚を出し抜きたいから(敵中心)
嫌いな同僚よりも出世してやりたいから(敵中心)
このような判断基準で行動を決めている状態が敵中心です。
敵中心での思考は、ストレスをため 相手への嫌悪感を増大させていきます。
怪物に挑むものは、自らも怪物にならないように注意せよ
ニーチェ
自分が怪物にならないようにしないといけませんね。
達成感はあるのか?
仮に、自分が目標を達成して 馬鹿にしてきた相手を見返したとしましょう。
達成感はありますか?気持ちいいですか?
もし、成功を報告したときに、相手にさらに馬鹿にされる可能性もあります。
むしろその可能性のほうが大きいです。
「~さん凄いですね、以前は、出来っこないなんて言ってごめんなさい」
こんな言葉をかけてくれると本当に思っているのでしょうか?
達成したい目標が非現実的なのは、自分のやる気を著しくさげます。
反芻思考になる
復讐について考えるということは、相手から受けた行為も同時に考えるということです。
復讐をモチベーションにするけど、相手から受けた行為を思い出さない、または忘れた なんてことはないですからね。
マイナスなイメージを何度も脳内で考えることは、間違いなく不幸に繋がります。
反芻することで、実際にあったことよりも誇張されて、脳内で再現されていきます。
まとめ
復讐の感情を使った方が良くなる場合も存在するとは思うが
大抵の場合は、使わないほうが良い方向につながる。