精神がラクダになり、ラクダが獅子になり、獅子が幼子になる有様を
超人を端的に表した言葉が幼子である。
幼子とはなんなのか
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幼子とは全力で遊ぶ者
全力で遊ぶもののことを幼子といい、超人は幼子だと言った。
幼子に戻りたいといっても、私たちは幼子には戻れない。子供の時の感覚を思い出すという手法では幼子には戻れない。
ニーチェのいう、ラクダの段階、獅子の段階を意識的に経て、幼子の状態になれるのだ。
ただの幼子が超人ではない、大人と呼ばれる状態から幼子になった人を超人と呼ぶ。
全力で遊べない人を大人という
大人になるということ
「最近、興味がもてるものがなくなってきました。」
「昔のように熱中できることがなくなった気がする。」
こういった話は当然です。老人になって、昔のように速く走れなくなったと言っているのと同じです。
それが大人になるということです。
熱中=幸せではない
過去の記憶は美化されていくので、熱中すること=楽しい、幸せという構図ができてしまい。
熱中できるものがない=不幸せという式を成り立たせてしまっています。
大人は大人の距離感でものごとに取り組む必要があります。大人には大人の楽しみ方があり、それが幸福につながっています。
子供と同じ楽しみ方を求めても仕方ありません。
それでも熱中を求めるなら、超人を目指すしかない
熱中なんてものは、遺産だと言いましたが、その幻想に囚われている大人も多くいます。
熱中できることを、これからもやっていきたいと望むのでああれば、超人を目指してください。
簡単な道ではないことは約束します。
まとめ
何事にも興味がもてなくなったのは、大人になった証拠
大人には大人の遊び方があります。子供の遊び方を大人が真似しようとしても楽しくなることはありません。
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