人生は選択の連続です。
選択の極意その①は十分な選択をする。
選択の極意その②は自分で決める。
この記事では極意その②をみていきます。
結論
自分が選択する。 これだけです。
自分がした選択を最良にしたがる
自分の提案した企画が通った場合は、自分の企画だから成功したと思うために力を注ぎますよね。
逆に、自分以外が提案した企画が通った場合は、同じように力を注ぐことができるでしょうか?
どちらの選択が本当に良かったかは誰にもわかりませんが、自分ががんばれる選択がよいのは分かっています。
相手の提案に決まるときも、私も自分の意思であなたの提案に同意する。あなたの提案は問題点があるから、そこを改善できるように動くと自分の意思で決める。といったように完全受身になることを避ける。
親に決められたら従える
学生に対する実験ですが、ある問題を解く際に
自分で着手する問題と使うペンを決めたグループ
着手する問題も使うペンも他人に決められたグループ
親が着手する問題と使うペンを決めたグループ
に分けて、パフォーマンスを比較すると
自分で決めたグループは他人が決めたグループの2~4倍の成果をだした。
ここで面白いのが、西欧系の学生が他人が決めたグループと親が決めたグループのパフォーマンスは同じくらいであったが
アジア系の学生は自分で決めたことと親が決めたことは等しくパフォーマンスが高かった。
自分なのか、親なのか、尊敬している人なのか、赤の他人なのか、嫌いなやつなのか
誰の選択なら納得して自分の力をだせるか考えてみましょう。
裁量が増えるようにする。
もしも選択に迷ってしまったら使える方法として、裁量が増える選択をするというものがあります。
選択の先延ばしは、選択肢を増やしているようにみえて、減らしています。
例えば、ギリギリまで飲み会にいくかどうか悩んでたとしましょう。
・飲み会にいったら、「来るのが遅いから、烏龍茶と唐揚げ頼んどいたよ。これいつも食べるよね」 と言われました。
飲み会にいったら烏龍茶と唐揚げを食べるつもりだったので、最終的な結果は変わりませんが、その唐揚げのおいしくないこと。
・飲み会にいかなかったら、そのいくかどうか悩んでた時間を趣味にあてられていたのに、もったいないことをした。
行くか行かないかの選択をギリギリまで残したが故、他の裁量が狭くなってしまった事例です。
まとめ
自分が決めれるうちに自分で決める。
何を選んだかより、誰が選んだかの方が重要になることが多い。