超人の技

他人の意見をどこまで聞くのか

「自分の人生を生きる」
「自分の考えで生きる」

自分で考えられるような人は、これでいいのですが
自分で考えられない人が、頑なにこうなってしまっては大変な思いをします。

他人の意見を受け入れなくなっている

自分で決める。自分の人生という言葉が幅を利かすようになってから
他人の意見を、素直に聞けない人が多くなっています。

こっちの方が早いよと教えてもらっても、それが指図に感じられて
指図に反発する形で
「自分は自分のやり方でやります」という頑固者が量産されています。

一律で他人の意見は聞かないほうがいい
他人の意見は聞いたほうがいいという二分法ではありません。

聞いたほうがいい意見もあるし、聞かなくていい意見もあります。
その両方あるというのが当たり前のことですが
最近は他人の意見は「聞かなくていい」という方向に振れすぎていると感じます。

だめなやつほど、人の意見を聞かない

自分が未熟だという気持ちがないと、他人の意見は受け入れられません。
だめな奴ほど、自分はできると勘違いして、自己流にこだわります。

できる人が「こうした方がいいよ」と教えてくれているのに、
なぜ、あなたが「こっちのほうがいい」と反論できるのでしょうか?

足が速い人が「腕を振ると速く走れるよ」と教えてくれているのに、
なぜ、あなたが「自分の走り方のほうが速い」と思えるのでしょうか?

自己流でうまくいかなかったのが今の貴方ですよね
では、自己流を変える以外に変わる方法はないはずです。

取り返しのつくものは試す

他人の意見を聞いたほうがいいもの
他人の意見を聞かないほうがいいものの選別は難しいです。

「やらないほうがいいよ」とか、「俺が若い時と同じようにするべき」というように一目で聞かなくていいアドバイスだと分かるものも少ないです。

では、どのように選別するのかというと
取り返しのつくものは試すというルールを提唱してみます。

先輩が「こうやったら資料づくり速くできるよ」というアドバイスをしてくれたとして、
もし、そのアドバイスを試してみて実際作業が遅くなったら、翌日にでも元の方法に戻せばいいだけですよね。
試した後にいくらでも取り返しのつくアドバイスです。

先輩が「家は持ち家じゃないとだめだよ」というアドバイスをしてくれたとして、
もし、持ち家が自分に合わなかったとしたら、なかなか取り返しがつきにくいですよね。
簡単に家を売るわけにもいかないですし。
こういうアドバイスは言う通りに動くのではなく、自分の中で考えて結論をだす必要があります。

先駆者が教えてくれてます
「トイレ掃除しろ」
「靴を綺麗にしろ」
「少額から投資しろ」
「挨拶をしろ」
「感謝しろ」

こんなものはお金もかからないし、時間もかからないし、やってみればいいじゃないですか。
それなのに
「いや、自分はトイレ掃除しても意味ないと思うからやらない」
「靴を綺麗にしても、仕事となんの関係もないから、自分は綺麗にしなくていいと思う」
どこから、その思考と自信がやってくるのでしょうか。

「転職しろ」
「家を買え」
「結婚しろ」
「宵越しの金を持つな」

こういうアドバイスは素直に実行しなくていいです。
意見の1つとして頂戴して、自分の判断でどうするか決めましょう。