自分に対する判断に完全な合理的な判断はありません。
というのも、感情が必ず入るからです。
どこかしらに感情は入る
私達は機械ではないので、感情と切り離して判断することは難しいです。
右と左どっちにいくか、くらいの差異のない問題ならいいですが
挨拶するか、挨拶しないかという問題ならば
合理的にどちらか正解を導きだすことは無理でしょう。
挨拶したいからする、挨拶したくないからしない これだけなんですから
毎回、今回は挨拶するべきか、しないべきかなんて考えている人はいません。
やるか、やらないかを決めるときも
挑戦が怖いからやりたくない
面白そうだからやってみたい
このような感情が全面的にあると思います。
「合理的に考えた結果、やらないことに決めました」と言われてもそれは嘘でしょう。
他人からのアドバイス
自分の進路やすることを自分で決めることは当たりまえですが
他人のアドバイスが役にたつことを忘れてはいけません。
あなたの幸福を願ってくれている友達ならば、自分よりも正確なレンズで物事をみてくれます。
そのうえで、あなたの思ったとおりにやればいいよと言ってくれるかもしれません。
もし、そんな友達いないよという人は、自分に対してアドバイスをするのがいいです。
仲の良い友達が同じような悩みに立ち向かっているとしたらば、なにとアドバイスをしますか?
それは、合理的な判断になりえます。
感情に合理的の皮を被せない
合理的判断を常にするのが、良いわけではないです。
感情に身を任せて決定するのも人生でしょう。
むしろ、感情の赴くままに行動したほうが幸福になるまであります。
問題なのは、自分が感情的に決めたことなのに、そこに後付けで論理的理由をつけくわえることです。
職場をやめるとき
「この前失敗して、それが原因で恥ずかしくて居づらい」「上司がむかつくから辞めたい」
こういった理由で仕事を辞めることは恥ずかしいことではありません。
胸をはって堂々と辞めてください。
その決定の後に、仕事を辞めた理由に
「自分のキャリアアップにはこうしたほうがいいと思った」
「今の会社は伸びないと思ったから、伸びる業種に転職したかった」
こんな理由はつくらなくていいという話です。
自分の感情に素直になりましょう。
自分に嘘をつくことは、いい習慣とは呼べません