どのようなものでも、いき過ぎれば悪影響がでてきます。
優しいという性格も、優しすぎれば人に利用されたり、それに疲弊し自分のことができなくなります。
好奇心旺盛という性格も、好奇心は猫をも殺すということわざの如く、問題を次から次へと引き寄せてきます。
自分はこういう人間だという認識が強いひとは、自己イメージが崩れた時に弱くなります。
アイデンティティが強い人
皆さんはアイデンティティが強いと思います。
強くしようとしている時かもしれませんね。
自分はこういう人間だというものは大事で、行動に駆り立ててくれます。
「自分は運動が好きな人間だ」というアイデンティティを持っているなら、黙ってても運動をするでしょうし
「自分は勉強が好きな人間だ、自分は勉強が得意な人間だ」というアイデンティティを持っているなら、やめろと言われても勉強すると思います。
なので自分にとって良いアイデンティティを強くもつことは大切です。
ですが、強いものというのは諸刃の剣でもあります。
「自分は運動が生きがいだ」というアイデンティティを持っている人だったなら、もし運動が出来なくなったらどうなるでしょう?
地の底に落とされた気分になるでしょうね。
アイデンティティは強くもっていい
脅しみたいになりましたが、アイデンティティは強くもっていいです。
先に述べましたが、自分がこういう人間であるという良い物語を持てば、その通りに生きることができます。
自分は〜な人間だという良い物語に囲まれた生活を送るといいでしょう。
私が伝えたいのは、強いアイデンティティを持つなということではなく、その強いアイデンティティが崩壊した時には相応のダメージが跳ね返ってくるから気を付けなはれやという話です。
この事実を知っているか知っていないかだけでも、少しは痛みが和らぐことでしょう。
苦しみたくないならアイデンティティは持つな
アイデンティティの確立はいいことのように思えますが、悪い点もあります。
それは、自分は〜な人間のはずなのに、こういうことをしているという現実とのギャップに苛まされることです。
自己イメージの崩壊に似ていますが
自分は仕事が完璧にできる人間だという物語を生きているなら、仕事がうまくいかなかったときに現実とのギャップに苦しむことになります。
それを力にして奮起するというルートも取れるので、悪い事ではないのです。
悪いことではないのですが、苦しみたくないという人は私は〜な人間だなんて自己は持たなくていいです。
苦しみを受け入れて、成長する人になるか
苦しみを受けずに、ありのままの姿を受け入れる人になるか
どちらも良い人生でしょう。
自分物語の第2の問題
強固なアイデンティティの確立は自己イメージの崩壊の他に怖いものがもう1つあります。
それはの自分物語がいきすぎた場合どうなるか?です。
この物語がいきすぎたらどうなる?と問いかけてみてください。
私は親切な人間だなら
親切な人間過ぎたらどうなる?と
私は頑張る人間だなら
頑張りすぎるとどうなる?と
デメリットが予想できるなら、先回りしてデメリットを潰す立ち回りが賢い人のあり方です